「墓じまい」とは
この言葉が全国共通なのか、不明な部分もありますが、ともかく考えてみます。
墓を「しまう」と言いますが、この場合、単に墓石を撤去処分するというだけではありません。
中には数柱(お骨はひとはしら、ふたはしらと数えます)の骨壺、代々続いた家系なら、時に数十柱の遺骨が安置されています。
これらを全て「しまう」 となると、皆目検討もつかない話になってきます。
実は、当寺の新旧墓地には、しまわれることなく、そのまま放置されているお墓が相当数あります。
わたしが生まれる前から、そうなったお墓もあれば、近年、そういう事になってしまったお墓もあります。
こういったお墓のことは無縁墓と言われます。
「無縁のお墓」
なんと寂しい言葉でしょう。
それぞれのお墓に納骨されている方々には生前、明るく生き生きとした生活があったに違いありません。
子の誕生を喜び、孫の誕生を喜んだ家庭があったのです。
それがいつの代か、子が生まれなかった、生まれたが成長せず亡くなった、他にも様々な事情で、お墓を守る後継者が絶えてしまったのです。
毎年のお盆では、墓地がまるでお花畑のように色とりどりの供花に飾られます。
そんな中、花も無く、誰もお参りすることのない、まるでその周囲だけがモノクロの世界のように静まりかえっているお墓を見ると、なんとも、いたたまれない気持ちになります。
せめてもの、という思いで花を手向け、我が家の妻や子どもと手を合わせ読経して回るのが8月15日夕方の恒例行事となっています。
悲痛な思いで...
これからお墓を建てようという方は、まさか我が家がそんな事になるなんで思いもしないのが当たり前です。
未来に何が起こるかなんて知る由もありませんものね。
しかし、中には、
「うちはその可能性があるな...」
と、ひそかに思う方もいるでしょう。
その前に、現代に起きている実例をあげてみます。
電車の中に遺骨を忘れていく方が、年間50件以上あるそうです。
最近では、スーパーや公共施設内のトイレに忘れていく方もいると聞き、驚きました。
しかし、これらのほとんどは「忘れ物」ではなかったのです。
なぜなら、骨壺にいっしょに入っているはずの「埋葬許可書」は抜き取られ、故人を特定する証拠が何も無いのです。
つまり、忘れたのではなく、棄てられたのです。
私はこういった行為をされた方を責める気持ちになれません。
新たにお墓を持つことは、金銭的にかなりの負担です。
都会ともなれば、富山では想像も出来ないくらい高額です。
比較的安価と言われる公営墓地では、時に当選率1/100という抽選に当たらないとお墓を持てません。
その他、様々な理由で、それこそ悲痛な思いでやむなく棄てられたのだとしたら、宗教者の末端を汚す者としては無視できない問題だと考えています。
墓じまいを考えるのはこんな方々
どういった方々が「墓じまい」を考えるのでしょうか。
以下に実例をご紹介します。
①子どもがいない
後継者がいないという、至極わかりやすい事情です。
②子どももいないが、頼れる親戚もいない
①の方は、自分の弟や姉妹などに、今後の墓守を依頼するケースがあります。
しかし、あなたが別の家庭へ嫁いだと想像してみて下さい。
自分自身も現在の家庭のお墓があり、毎年それなりに出費が必要です。
そこへ、自分の親が納骨されている「実家のお墓」とは言え、その分までお世話をしろとなると、嫁ぎ先への遠慮は計り知れないですよね?
そのため、なかなか上手く行かないのが実情です。
③子どもはいるが...
子どもはいるが、遠方に住んでおり、先祖代々の墓を守らせるのは負担だし可哀想という、親御さんの子への思いもあります。
ある家庭は、長男次男、長女と3人の子がいらっしゃいます。
長女は遠方に嫁ぎ、長男次男もそれぞれ都会で家庭を持ち、家またはマンションを購入し、子育てをされています。
そのお墓を守っている方は言います。
「うちの子は、富山に帰ってくる気持ちはないんですよ。孫も都会生まれの都会育ち、うちのお墓は私の代でおわりです」 と。
実は、これが一番多いのかなと、推測します。
具体的な解決方法
ではいったい、どうすれば「無縁墓」になることを避けることができるのでしょうか?民法では お墓の承継について(897条)「系譜、祭具及び墳墓の所有権は、相続分の規定によらず、慣習に従って祖先の祭祀を主催すべき者がこれを承継する。但し、被相続人の指定に従って祭祀を主催するべき人があるときは、その者が承継する」
とあります。墓地を運営する法人・団体によっては親族の「六親等」までを継承者と認めるケースが多いようですが、民法では具体的な範囲は示されず、あくまで慣習に従って、とわりと大ざっぱなものなのです。墓じまいを考えるのは、新たな所有者が見つからないという結論に達した方ですね。 そんな方が年々、増加している現代です。
最も適切と思う方法は、「永代供養墓」に納骨、です。 「永代供養墓」のキーワードで検索すれば、まあ、実に多くの検索結果が出てきます。中には、一柱3万円で納骨できますという、大規模事業者もあります。都心のあるお寺では、一柱4万円で公告したところ、数百ものお骨がわずか1〜2年で納められたとニュースで見ました。いったい、日本のどこにそんなに多くの行き先のないお骨があったものかと、驚きを禁じ得ません。西方寺では、ホームページ内にも永代供養墓に相当する「永久納骨墓」の運用をご紹介しておりますが、ページ内に記載されている金額では、とてもそんなに多くのお骨を納めることは不可能だと考えるケースもあるでしょう。 永久納骨墓を始めたのは、お金儲けではありません。もともと、我が家のお墓が積年の風雪に耐えかねて、2016年の雪融けから崩れ始め、新規で建立しようと思ったのですが、その前に色んな方からご相談を受けた、「納められないお骨」の問題に対し、少しでもお役に立てないかと、先に建設を始めたのが当寺の永久納骨墓です。お陰様で、我が家のお墓も、永久納骨墓に遅れること数十日で建碑させていただきました。母が亡くなった翌日に、永久納骨墓が完成、その母の49日の直前に、当家のお墓ができました。なにか不思議なご縁を感じます。 そういった事もありまして、墓じまいに悩んでおられる方は、ぜひご相談下さい。率直なご希望や願いを聞かせて頂き、最善と思われる方法をいっしょに考えさせて頂きたいと願っております。